
OVERVIEW intro
いわき市平(たいら)の三町目商店街で生まれ育った北林さん。15年間の東京暮らしを経て、2004年に地元いわきにUターン。ご両親の経営する店舗のある三町目商店街のビルの3階で、イタリアンカフェダイニング「La Stanza(スタンツァ)」を開業しました。東京で知り合ったご主人をマスターに、自身はシェフとして厨房に立ちます。
いわきをはじめとする福島県産の食材を使った本格イタリアンが楽しめるとファンの多いスタンツァ。その始まりと、お店のある商店街への思い、そして、2020年5月の開業を目指して進行中の、ゲストハウスプロジェクトについてお伺いしました。
目次
バールならではのコミュニケーションをいわきにも。危機感からのはじまり
いわき駅を背にして駅前大通りを歩き、駅前商業施設「ラトブ」を過ぎると、右手に3階建ての建物があります。北林由布子さんがシェフをつとめるイタリアンカフェダイニング「La Stanza(スタンツァ)」は、このビルの3階。2019年3月に15周年を迎えました。

スタンツァ外観(北林さん提供)
「学生時代から自分の店を持ちたいという気持ちはぼんやりとはありました。帰省のたびに、いわき駅前の平の町が寂しくなってきたのを感じるようになり、30歳を前に、どうにかしなくちゃいけないなぁと思うようになりました。ただ、高校卒業時はとにかく東京に出られればよくて、いわきに戻る気はさらさら無かったんです。だから、ここに帰って来て飲食店を始めたいと親に告げた時には驚かれました」
その後、30歳の頃に東京の料理学校で、料理、コーヒー、経営を2年学んだ北林さん。日本のバリスタのパイオニアの一人からエスプレッソの講義を受けた時、その楽しそうな姿とエスプレッソの美味しさに衝撃を受けました。
「どうしても、そのエスプレッソを淹れられるようになりたくて、粘り強くお願いしたところ、そのバリスタが経営するイタリアンバールで、オープニングスタッフとして働かせてもらえることになったんです。その店で働きながら料理と経営を学びました。エスプレッソが立ち飲みできる『バール』は、イタリアでは憩いの場であり、交流の場。当時の日本にはそういうバールがほとんどなかったため、そのお店に東京中のイタリア人のシェフが集まっていました。そこに、近所の人はランチを、若い子たちは可愛いラテアートを楽しみに来る。そんなバールならではのコミュニケーションをカウンター越しに見ていて、こんな場所が町にひとつあるといいなと思いました。これが、『飲食店をやりたい』というぼんやりとしたイメージから、『いわきでバールをやろう!』という決意に繋がりました」
「いわきで」と決めたのには、先述の危機感のほかに、地元出身ならではの責任感もあったといいます。
「自分の中では、お店をやるなら東京かいわきという選択肢しかありませんでした。いわきを選んだのは、ここでやるべきという勝手な責任感、義務感からでしたね。実家は、三町目商店街でアパレル業を営んでいました。生まれたときから、商売をやっている家庭しか知らなくて、そういった影響も大きかったんでしょうね」
「変わらないために、変わり続けていく」という決意
開店から15年、北林さんが店を続けていくにあたり、決めていることがあります。それは、「変わらないために、変わり続けていく」こと。
「お店をキープするために、常に少しだけ上を目指すようにしています。スタンツァを気に入ってくれたお客さんに『変わらない』と思ってもらうためには、常にその期待の上を行く必要があります。非日常を感じられる空間、本物のイタリアンを味わえる場所、と思ってくれるお客さんを失望させないように、同じものを出し続けるのではなく、お客さんの知識量や経験値が上がっていくのに合わせて、少しずつマイナーチェンジし続けていく、ということです」
開店から10年ほどは、まめに東京に通い、東京の風をいわきに運ぶようなつもりで、料理やカフェの流行や最新の情報を仕入れるようにしてきました。
「お店に入った瞬間、『わー、いわきじゃないみたい!』と言ってもらえたりすると、『よし!』という気持ちになります。この仕事を始める前は、ずっと舞台関係の仕事をやっていました。ちょっとした非日常を持って帰ってもらうという意味では、やっていることはお芝居でも飲食店でも同じです。来た人が一息つけて、明日も頑張ろうと思えたり、その場に居合わせた人たち同士の一期一会の出逢いがあったり。手法が変わっているだけで、ずっとやっていることは同じだなと感じています」

営業中の店内(北林さん提供)
東日本大震災を機に気づいた福島・いわき産食材の価値
スタンツァの魅力のひとつが、福島県産の食材を使った本格イタリアンが楽しめること。そのきっかけは、2011年3月11日の東日本大震災、原発事故でした。いわき駅前から人影が消え、「このままでは平の町が死んでしまう」と本気で思ったといいます。
「商店街の今後や、商売のやり方、食材について本気で考えざるを得ない状況になりました。そんな時に地元の生産者に出会い、いわき産の食材を調達するようになって、『いいものはこんなに近くにあった』と思いました。いわきの農業にはたくさんの課題がありますが、料理を通じた情報発信でいわきの食材を残していきたいと思っています」

いわき市で生産された原木シイタケを手にする北林さん
地元の生産者たちとの出会いから、安心安全はもちろん、味や品質も納得できる食材だけを使用したイタリアンを目指すようになった北林さん。同じ生産者の食材を使うことで、地元のシェフとのつながりもできました。それが、福島のシェフと生産者のつながり「F’s Kitchen」です。このコミュニティでは、福島の食の魅力を伝えようと生産者と料理人がタッグを組み、食に関するさまざまなイベントを積極的に開催しています。
「『F’s Kitchen』の仲間とは、『食材や料理に対する姿勢』という共通言語で思いを共有できます。他のシェフと一緒に厨房に入って料理を作ることで、お客さんは一気にいろいろなシェフの料理を楽しめるし、自分たちはメニューを試作してその時にしか出会えない食べ物を楽しんでもらえる。結果として、お客さんも自分たちも楽しい。お客さんから、『厨房の中が楽しそうだよね』と言われるほどです」

「F’s Kitchen」の活動の様子(北林さん提供)
2019年10月の台風19号とその後の大雨による水害では、「F’s Kitchen」の仲間の農家や店舗も大きな被害に遭いました。畑や店舗の復旧作業に駆け付けただけでなく、残った食材をお店で積極的に使用したり、店舗を失ったシェフたちに場を提供し合ったりと連携を見せた「F’s Kitchen」の仲間たち。スタンツァももちろん営業場所として提供しました。
「スタンツァを使って営業してもらうことで、プロとして飲食を提供して収入を得ることができますし、お客さんから忘れられていないということが伝われば、仕事を通して元気になっていくことができるんじゃないかと思って。そういう支援ができるのが個人店のいいところで、そういう関係性が『F’s Kitchen』を通して作られていますね」
「三町目ジャンボリー」で10年後の商店街にお客さんを
北林さんが、スタンツァと同じくらい強い思い入れを持っているのが、店舗のある三町目商店街です。
「平は、幼いころから思春期までの自分自身の遊び場。結局愛おしいから、帰って来ちゃったんですよね。帰ってきても、お気に入りのジャズ喫茶も、プールバーもなくて、自分が行く場所はもうありません。でもその思い出があるから戻ってこられたし、そんなかけがえのない商店街を残したいと思います。きっかけは自分のエゴだと感じていますが、共感してくれる人もいるし、自分のように商店街がなくなったら辛い人もいるはずと思って動いています」
そうして始めたことのひとつが、「三町目ジャンボリー」でした。三町目商店街に、雑貨、お菓子、アクセサリー、ごはん、野菜などの出店が並ぶイベントで、4年ほど前から開催するようになり、2019年11月で26回目を迎えました。
「始めた当初から、商店街で歩行者天国をやりたいと思っていました。26回目にそれがようやく実現して、道路に敷き詰めた人工芝の上で親子が寝転んでいる姿を見たときには、もう私泣く、と思いましたね。
15年前にいわきに戻ってきたばかりの頃は本当に商店街に活気がなくて、いわゆる重鎮のような人たちは動かない。だったらこの店だけでも頑張る、とひとりで息巻いていたのですが、震災後、同じ三町目の衣料店「もりたかや」の息子さんがいわきに戻ってきて、一緒に何かやってみようかということになりました。商店街の既存の組織の中では動きづらいので、「三町目商店街青年部」をつくって活動を始めました。今は多い時には25店舗ほど出店する三町目ジャンボリーも、1回目は、スタンツァともりたかやの2店だけだったんです」
この三町目ジャンボリーは、目先の売り上げや集客ではなく、10年後に商店街のお客さんになってくれる人を育てることを目指しています。
「商店街は、無くなってしまったら戻せない。チェーン店と駐車場ばかりになってしまったら、商店街として機能しなくなる。商店街なんて無くても大型ショッピングセンターがあればいい、という人の方が多いかもしれないけれど、本当にそれでいいのかな、毎日の息苦しさから解放されて息抜きできる場所って商店街のような場所なんじゃないか、と。店舗を大手チェーンに貸すという選択肢もあるけれど、それは正直いつでもできるんです。自分がやれる間はあがきたいと思っています」
ゲストハウスで若い子たちの居場所を作りたい
現在、北林さんは、スタンツァの入るビルの1階と2階で店を経営していたご両親の引退を機に、1階部分をラウンジ、2階部分を宿泊スペースにリノベーションしたゲストハウス「Guest House & Lounge FARO」 をオープンするプロジェクトを進めています。このプロジェクトも、北林さんの危機感から始まりました。
「きっかけは小名浜に大型ショッピングモールができると聞いたことです。やっと震災を乗り越えられそうだと思っていた時に、大型ショッピングモールができたら商店街が無くなってしまうのではないかと。いま、自分にできることは何か、と考えていた時に、劇作家の岸井大輔さんが主催する「町を劇場にする」というコンセプトのワークショップに参加しました。商店街を違った切り口から見ないと新しいことはできない、商売人としての感覚を圧縮して、新しい価値観を手に入れなくては大型ショッピングモールには対抗できないと思ったんです。儲かる、儲からないではなく、ここに何があれば、必要とされ、残っていけるのか。自分ができることを、と考え抜いて出てきたのが、このプロジェクトです」

「Guest House & Lounge FARO」のイメージ
北林さんは、今のいわき駅周辺には若い子たちの居場所がないと感じています。
「まちづくりに参加したり、町の人と関わったりすることのできる場所がなければ、大人になってからいわきに戻ってくるわけがないんです。若い子たちが『ここにいたい』と思う場所、若い子たちが『働きたい』と思う場所をつくらなくてはと思って。このゲストハウスは、やれることが広がる、みんなの場所にしたいと思っているので、立ち上げから積極的にいろいろな人に頼んで動いてもらっています。関わってくれる人、応援してくれる人が奇跡的にたくさんいて、すでに思いを達成している感じもしています。『いわきを知りたいなら、とりあえずこのゲストハウスに泊まったら』と言われるようになったら最高ですね」
タタキアゲジャパンのプレゼン&ブレストイベント「浜魂」(2017年6月開催・第19回)では、「ゲストハウス」を作りたいという構想をプレゼンし、運営に関するアイデアを募集。市内の生産者を招いたファーマーズマーケットを実施し、ゲストハウスを目指した「場作り」を先行的に始める、というアイデアがまとまりました。
また、2019年春にはタタキアゲジャパンがコーディネートした、「復興・創生インターン」(復興庁主催)を活用し、インターンの大学生3名を受け入れました。若者の目線で、いわきの魅力をリサーチし、ゲストハウスのコンセプトづくりに協力してもらいました。
共感する仲間が応援してくれる、「いわき」という土壌
東日本大震災から8年がたった今のいわきは、やりたいことがやれる環境、土壌になっている、と北林さんは力を込めます。
「震災を機に、いろいろなキーパーソンが表に出てくるようになってきました。アプローチ次第ですが、自身のやりたいことに共感してくれる人とうまくつながることができれば、とてもやりやすい環境だと思います。一人で全部やろうと思うと身動きが取れなくなるけれど、周囲に助けを求めて一緒にやりませんか、と諦めずにやりたいことを言い続けていれば、物事は動くと思います。私の原動力は、震災や大型ショッピングモールの建設といった危機感。震災前は、行政や社会がなんとかしてくれると思っていたけれど、どうもそうではない。本当に現状や未来を変えたいと思ったら、自分が動くしかないんです。商店街を無くしたくないならば、まず自分の店だけでもお客さんが来てくれるように頑張る。そうしていたら、共感する仲間が出てきて、イベントを開いたり、つながりが増えたりしていく。いわきはそういう土壌ができていて、本当にいいもの、面白い活動がたくさんあって、それが広がっていく場所だと思います」
●Information
La Stanza(スタンツァ)
住所 福島県いわき市平3-8-2
公式サイト https://y-kita.wixsite.com/mysite
facebook https://www.facebook.com/LaStanzaIwaki/
Guesthouse Lounge FARO iwaki
住所 福島県いわき市平3-8-2
公式サイト https://faro-iwaki.jp/
facebook https://www.facebook.com/faro.iwaki/
三町目ジャンボリー
facebook https://www.facebook.com/3Jamoree/
文・山根麻衣子/タタキアゲジャパン編集部
写真・沼田和真
活用したプロジェクト

北林さんが参加したのは、第19回浜魂(2017年6月7日開催)
▶「平がより面白くなるにはどんな施設があったら良い?」

登壇する北林さん ※浜魂ホームページより

こちらの思いと来てくれたインターン生、そして募集のタイミングがドンピシャで、どの団体より効果的にインターン制度を活用できたんじゃないかと思います。ゲストハウスは、若い子たちの気持ちになって必死になって考え抜いたプロジェクトなので、その思いに若者が共感してくれたのかもしれないと思っています。
北林さんがこのプログラムで学生を受け入れたのは、2019年2月~3月
▶復興・創生インターン(2019年2月~3月)「福島県いわき駅前につくるゲストハウス&ラウンジのコンセプトを探り出せ!」

3人のインターン生と、北林さん(上段右)、マスター(上段左) ※Guesthouse & Lounge FARO iwaki Facebookページより
新規事業としてゲストハウスをやるにあたり、前に出て顔を売っていくしかないんだなと、覚悟を決めて臨みました。結果として、非常に良い拡散の機会になりました。たくさんの人が集まってくれて、読み切れないくらいアイディアをもらって、有り難かったですね。