CATEGORY : REPORT, HAMACOM

「危機感」を「楽しみ」に変える、思いと行動力

北林 由布子さん

OVERVIEW intro

浜魂(ハマコン)に参加して思いをぶつけ、プロジェクトの始まりを宣言した人たちは、今、そのプロジェクトをどのように進め、どのような壁に直面しているのか。「浜魂人(ハマコンジン)」では、浜魂に参加した人たちの「今」をレポートします。三人目は、第1回浜魂で「当事者意識を持って地域医療に関わる」というテーマでプレゼンを行った小柳正和さん。現在は、地域医療をITでサポートする「株式会社HealtheeOne(ヘルシーワン)」を立ち上げ、代表取締役として精力的にビジネス展開をしています。起業に至った経緯や、ITへの期待について小柳さんに話を伺いました。

いわき駅前にイタリアンを構えて丸15年。はじまりと地元への思い

北林:このイタリアンカフェダイニング「La Stanza(スタンツァ)」は、2019年3月に15周年を迎えて、16年目に入りました(2019年12月)。私がシェフ、主人がマスターをつとめています。

お店を始めたきっかけを教えてください。

北林:飲食は好きで、学生時代から店を持ちたいという気持ちはぼんやりとはありました。帰省のたびに、いわき駅前の平の町が寂しくなってきたのを薄々と感じていて、どうにかしなくちゃいけないのかなぁと思うようになって。

高校卒業時はとにかく東京に出られればよくて、嫌で出ていった町なので、親も私が戻る気はさらさら無いのはわかっていました。親の家業であるアパレルを継ぐ気はなかったのですが、店舗をほかに貸したり売却したりということになる前に、帰って来て飲食店をやりたいと告げたら非常に驚かれました。

その後、東京で料理学校に通い、料理、コーヒー、経営を1年半学びました。授業の中で日本でのバリスタのパイオニアの一人からエスプレッソの講義を受け、その楽しそうな姿とエスプレッソの美味しさに衝撃を受けて、その講師が経営するイタリアンバールにオープニングスタッフとして働かせてもらうことに。エスプレッソが立ち飲みできる「バール」は、イタリア人にとっては憩いの場、交流の場なのですが当時の日本にはまだほとんどなくて、東京中のイタリア人のシェフが集まるような環境になっていました。近所の人はランチを、若い子たちは可愛いラテアートを楽しみに来る。そんなバールのコミュニケーションをカウンター越しに見ていて、これは町にあったらいいと思い、ぼんやりとしたイメージから、いわきでバールをやろうと決意しました。

いわきでやろうと決めたのは?

お店をやるなら東京かいわきかしか、自分の中では選択肢がなくて、いわきを選んだのは、この場所に生まれた呪いみたいなものもあるのかもしれなくて、ここでやるべきという勝手な責任感、義務感からでしたね。

いわきで店を続けるために決めていること

北林:店をキープするために心がけているのは、常に少しだけ上を目指すようにしていること。スタンツァを気に入ってくれたお客さんに変わらないと思ってもらうためには、その期待の上を行く必要がある。非日常を感じられる空間、本物のイタリアンを味わえる場所、と思ってくれるお客さんを失望させないように、お客さんの知識量や経験値が上がっていくのに合わせて、同じものを出し続けるのではなく、少しずつマイナーチェンジし続けていく。変わらないために変わっていくことが大事なんじゃないかなと。

開店から10年くらいは、まめに東京に通って、料理やカフェの状況や流行を仕入れて、これは今後いわきにも来る、と。ある意味、東京の風をいわきに運ぶというか。店に入った瞬間、「わー、いわきじゃないみたい!」と言ってもらえたりすると、「よし!」みたいな気持ちになります。
この仕事を始める前は、演劇をずっとやっていたんですが、ちょっとした非日常を持って帰ってもらうという意味では、お芝居でも飲食店でもやってることは同じなんですね。来た人が一息つけて、明日も頑張ろうと思ってもらえたり、その場に居合わせた人たち同士の一期一会の出逢いだったり。なので厨房もガラス張りにしていて、私も無言であいさつしながら、会計時には厨房から顔を出すようにしていて。手法が変わっているだけで、ずっとやっていることは同じだなと感じています。

東日本大震災を機に気づいた福島・いわき産食材の価値と、地元シェフ・生産者とのつながり

北林:気付きは東日本大震災なのですが、いわきの生産者に出会い、いわき産の食材を調達するようになって「いいものはこんなに近くにあった」と思ったんですね。震災後は、いわき駅前のこの平の町ですらゴーストタウンになって、商店街はもちろん、いわき産の野菜もなくなりかけた。震災後の農地の除染や風評被害という状況と併せ、高齢化なども含めていわきの農業の現状を知るにつけ、無くなったら戻らないだろうと思うので、料理を通じた情報発信で、伝えることで何とか残せないかと思っています。

いわき市で生産された原木シイタケを手にする北林さん

また、同じ生産者の食材を使うことでつながった、いわき市内のシェフ同士のつながり「F’s Kithcen」では、共通言語があって、思いを共有できる。他のシェフと一緒にやったり、人の厨房に入ったりするのは特殊なこと。はじめは少し怖い気持ちもあったけれど、他のシェフの価値観や「プロの仕事」を間近に見ることで、学び、広がることの方が多いことに気づいて。自分のキッチンに人を入れることの楽しさや、やっている自分たちも楽しんじゃえばいいんだと。お客さんは一気にいろいろなシェフの料理を楽しめて、自分たちはいろいろとメニューを試してその時にしか出会えない食べ物を楽しんでもらうことで、お客さんも自分たちも楽しい。「厨房の中が楽しそうだよね」と言われるくらいで、そういう機会があるのもいわきならではだと感じます。

シェフ、生産者たちと ※萩シェフFacebookページより

2019年秋の台風による水害では、仲間の農家や店舗が大きな被害に遭いました。その時に、スタンツァを使って営業してもらうことで、ただの支援ではなく、プロとして飲食を提供してお金を得ること、お客さんから忘れられてないことが伝わることで、仕事を通して元気になっていくことができるんじゃないかと思って。そういうことができるのが個人店のいいところで、そういう関係がいわきの中ではつくられていますね。

いわきの商店街に、10年後のお客さんをつくるために始めた「三町目ジャンボリー」

北林:いわきの平は、幼いころから思春期までの自分自身の遊び場で、結局愛おしいから、帰って来ちゃったんですよね。ただ帰って来ても、お気に入りのジャズ喫茶も、プールバーももうなくて、自分が行く場所がない。でもその思い出があるから戻って来られたし、商店街を遺したいと思う。それは自分のエゴだと感じているけれど、共感してくれる人はいるし、商店街が無くなったら辛い人がいるはずと思って動いているんですよね。

「三町目ジャンボリー」を始めたきっかけも、商店街を残すためですか?

北林:4年ほど前から、4月から11月に月1回、年にすると3~4回、いわき駅前の三町目商店街だけを使って、出店を並べるイベントで、前回(2019年11月)で26回目になりました。始めた当初から、商店街で歩行者天国をやりたいと思っていたのですが、26回目にしてようやく実現して、道路に敷き詰めた人工芝の上で親子が寝転んでる姿を見たときには、もう私泣く、と思いましたね。

15年前にいわきに戻ってきたばかりの頃は本当に商店街に活気がなくて、いわゆる重鎮のような人たちは動かない。だったらこの店だけでもがんばるとひとりでやっていたのですが、震災後、同じ三町目の衣料店「もりたかや」に会田勝康くんという息子が戻ってきて、なんか面白そうな人だなと話し出して、何かやってみようかということになって。ただ、商店街の既存の組織の中では動きづらいので、「三町目商店街青年部」をつくって活動を始めました。今は多い時には25店舗ほど出店する三町目ジャンボリーも、1回目は、スタンツァともりたかやの2店だけだったんです。

三町目ジャンボリーは、目の前の売り上げや集客ではなくて、10年先に商店街のお客さんになってくれる人のためにやっている部分が大きいです。商店街は、無くなってしまったら戻せない。チェーン店と駐車場ばかりになってしまったら、商店街として機能しなくなる。商店街なんて無くなってもいい、イオンモールがあればいい、という人の方が多いかもしれないけれど、本当にそれでいいのかな、毎日の息苦しさから解放されて、息抜きできる場所って商店街なんじゃないか、と。

自分自身に商店街でのかけがえのない記憶がなければ、大手チェーンに貸すという選択肢もあるけれど、それは正直いつでもできるんです。自分がやれる間はあがきたいと思っています。自分のやりたいことをやってこけたらそれはそれで。そうしたら、ファミリーレストランで働けばいいかな、とか。少し美味しくしますよ、なんて。

地元で営業していて、大変なことはないですか?

北林:悪いことはなにもないですよ。東京に15年間いる間にやりたいことをやり切ったところもありますし、東京は本当に自分で達成したいことが無いと立っていられない場所なんじゃないかと思います。
商売を始めるとなった時に、学生時代から続けていた演劇の世界をシャットアウトして、営業に注力したんです。そうでなくてはやっていけないと思っていた。でも10年店を続けられた時、封印していた部分を開けてみてもいいかなと思って、余力を差し込んでいった。それが、三町目ジャンボリーやF’s Kithcenの活動ですね。

イタリアンレストランの下を、ゲストハウスにするプロジェクト

北林:「いわき駅前にゲストハウスをつくりたい」というのは、3年ぐらい前から発信し始めたのですが、きっかけは小名浜にイオンモールができると聞いた時です。やっと震災を乗り越えられそうだと思っていた時に、イオンモールができたら商店街が無くなってしまうのではという危機感から始めたプロジェクトです。自分にできることは何か、と考えていた時に、劇作家の岸井大輔さんが主催する「町を劇場にする」というコンセプトのワークショップに参加しました。商店街を違った切り口で見ないと新しいことはできないと思っていて、価値観を変えたかった。商売人としての感覚を圧縮して、新しい価値観をつくっていかなくては、モールに対抗できない。儲かる、儲からないではなく、ここになにがあれば、必要とされ、残っていけるのか。自分ができることを、と考え抜いて出てきたのが、スタンツァの入っているビルの1-2階をゲストハウスにするプロジェクトです。

今のいわき駅周辺には若い子たちの居場所がない。まちづくりに参加したり、町の人と関わることのできる場所がなければ、大人になってからいわきに戻ってくるわけがないんです。若い子たちが「ここにいたい」と思う場所、ひいては若い子たちが働きたいと思う場所をつくらなくてはと思って。東京や各地のゲストハウスを視察に行ったら、若い子たちが、いわゆる掃除などの仕事をすごいニコニコしてやっている。それは、ゲストハウスだからキラキラしながら仕事できるんだな、と。そういう職場をいわきにもつくらなくてはいけないと。
このゲストハウスは、やれることが広がる、みんなの場所にしたいと思っているので、立ち上げから積極的に人に頼んで動いてもらっています。奇跡的にかかわってくれる人、応援してくれる人がたくさんいて、すでに思いは達成している感じもしていて。「いわきを知りたいなら、とりあえずこのゲストハウス泊まったら」と言われるようになったら最高ですね。

今のいわきの可能性

北林:震災から8年以上たった今のいわきは、やりたいことがやれる環境、土壌になっていると思います。アプローチ次第ですが、自身のやりたいことに共感してくれる人とうまくつながることができれば、とてもやりやすいと思います。たとえば私は、政治的なことは苦手なので、それは友人に頼んだりとか。自分が本気でやりたいと思えばできる時代。一人で全部やろうと思うと身動き取れなくなるけれど、純粋に助けを求めて一緒にやりませんかと、諦めずにやりたいことを言い続けていれば、ことは動くと思います。
私の原動力は、震災だったり、モールの建設だったり、底辺は危機感なんです。震災前は、行政や社会がなんとかしてくれると思っていたけれど、どうやらそうじゃない。本当に自分がその状況、未来を変えたいと思ったら、自分が動くしかないんです。商店街を無くしたくない、ならばまず自分の店だけでもお客さんが来てくれるように頑張る。そうしていたら、共感する仲間が出て来て、イベントを開いたり、つながりが増えたりしていく。いわきはそういう土壌ができていて、本当にいいもの、面白い活動がたくさんあって、よりほかの地域に広がっていく場所だと思います。

利用したタタキアゲジャパンのサービス

浜魂

北林:浜魂への登壇は、新規事業としてゲストハウスをやるにあたって、それまでずっと店舗にこもっていたけれど、前に出て顔を売っていくしかないんだなと、覚悟を決めて臨んだので、非常に良い拡散の機会になりました。たくさんの人が集まってくれて、読み切れないくらいアイデアをもらって、有り難かったですね。

→第19回浜魂プレゼン「平がより面白くなるにはどんな施設があったら良い?」(2017年6月)

浜魂をもっと詳しく

登壇する北林さん ※浜魂ホームページよりより

復興創生インターン

インターン受け入れに関しては、こちらの思いと、来てくれた人材と募集のタイミングがドンピシャで、どの団体より効果的にインターン制度を活用できたんじゃないかと思います。
ゲストハウスは、必死になって若い子たちの気持ちになって考え抜いたプロジェクトなので、その思いに若者が共感してくれたのかもしれないと思っています。

→復興創生インターン「福島県いわき駅前につくるゲストハウス&ラウンジのコンセプトを探り出せ!」(2019年2月~3月)

復興創生インターンをもっと詳しく

インターン3人と、北林さん、マスター ※Guesthouse & Lounge FARO iwaki Facebookページよりより

▽La Stanza(スタンツァ)

ホームページ
https://y-kita.wixsite.com/mysite
facebookページ
https://www.facebook.com/LaStanzaIwaki/

▽Guesthouse & Lounge FARO iwaki

ホームページ
https://faro-iwaki.jp/
facebookページ
https://www.facebook.com/faro.iwaki/

▽三町目ジャンボリー

facebookページ
https://www.facebook.com/3Jamoree/

引用テキストです。株式会社HealtheeOne代表取締役社長CEO。1976年いわき市錦町生まれ。磐城高校95年卒。慶應義塾⼤学理⼯学部電気⼯学科卒業(⼯学⼠)。フランス HEC Paris School of Management 修了(MBA)。伊藤忠商事、Midokura (ソフトウェア開発ベンチャー)などを経て、2015年に株式会社HealtheeOneを立ち上げる。

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北林 由布子(きたばやし ゆうこ)

いわき市平出身。1970年生まれ。福島県立磐城女子高等学校(現・磐城桜が丘高等学校)卒業後、武蔵工業大学(現・東京都市大学)へ進学。中学時代から始めた演劇を継続しながら、バーテンダー、劇場スタッフ、お笑い芸人のサポートや映像制作などに従事。30歳の頃に料理学校に通う中、都内のイタリア料理店で国内有数のバリスタに出会い、その店で働きながら料理と経営を学ぶことに。15年間の東京暮らしを経て、地元いわきにUターン。いわき駅前大通りにある実家の店舗の3階で、2004年3月に、イタリアンカフェダイニング「La Stanza(スタンツァ)」を開業。東京で知り合ったご主人をマスターに、自身はシェフとして厨房に立つ。2020年5月の開業を目指し、店舗の1-2階をゲストハウスとして改装中。(2019年12月現在)

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